2011年2月24日木曜日

Uzbekistan trip 2.11-2.18

行って来ましたインド!!
ではなくてウズベキスタン!!
仕事の方も6日間の休暇をもらい、隣国へ小旅行♪
初日、ウズベクの首都タシケントで企業経営について大学で講義をしているシニアのボランティアNさんと。一緒にお駒ケ根訓練所で過ごした同期です我らがNパパとの一年以上ぶりの再会。何が食べたい?の質問に「インドカレー」と答えた私です。$をウズベク「スム」に換えて、午後のブハラ行きの飛行機をget!
バザールで売られているものはキルギスと似ているけれど、とってもきれいに並べられている野菜に感激。キルギスよりも物価は野菜なんかは同じくらいかな、スーパーでは少し高い気がしました。
魚!おおきい!
ロシア人も多いせいか、豚肉も、ロシア風お惣菜も、首都では色々売られている。韓国ショップや韓国料理屋さんが多い事にもビックリ。

●「茶色の街ブハラ」へ●
“聖なるブハラ”は、イスラム世界の文化的中心地として繁栄を誇った町。
「ほかの場所では光は天から差し地を照らす。ブハラでは、光は地から差し、天を照らす」と称えられた場所。13世紀にチンギスハーンの来襲で衰えをみせたものの、16世紀になってよみがえり、宗教的、文化的に再びこの場所に富が注ぎ込まれたそう。そんな街並みは今日までほとんど変わらず佇んでいるそうです。 泊まったguest houseのタイル
そして壁
シーズンオフの為、町も泊まる場所もカフェも静かでした。でもそれが心地よくて、しっかりとゆっくりとブハラの空気を吸い込むことができました
朝ご飯の部屋でのdisplay. 古い食器たち
旧市街地は古い歴史建築が残っていて、こんな路地もあってたのしかった。
ラビハウスという、今でも町の人や観光客の憩いの池があります。
このモスクは池の正面に建っていました。「地球の歩き方」によると、このラビハウスは憩いの池だったが不衛生だった為、その昔ひどい疫病が蔓延して多くの人が死んだそう。その頃の平均寿命が32才だったとか!
大通りを出た所の風景‐まるで映画のセットのようです
いったい誰・・?
暖かいと聞いていたけどブハラ初日は寒かったのです。まるでナリンから来た人のような格好をして、古い街並みの中を闊歩します。 街の所々にある「タキ」(=屋根付きバザール)。
シーズン時は一つ一つの扉がぜんぶ開いてきっと賑やかなんだろうなぁ~とにかく数軒しか開いていませんでした。タキの天井
小さな穴のような子窓があってそこから差しこむ一筋の光がとても良い思わず上を見上げてふーっと幸せのため息がこぼれました。
優しいウスベク人おばあちゃんのいたお土産屋さんにて。色とりどりのウズベクの陶器達。大きなお皿を一枚購入しました。深い緑色。
・・お寿司が合うかな、パスタもいいかな。
また別のお土産屋さんの前で。置き人形と化しているような私です
「カラーンモスク」にて。1514年に建てられたもの。1ヘクタール規模の大きなモスクで当時は1万人の信者が礼拝できたそう。
「1127年にカラハーン朝のアルスランハーンによって建てられたもので、ブハラの町の興亡を眺めてきた生き証人ともいえる。」‐ブハラのシンボル、旧市街地の中で有名な広場「カラーン・ミナレット」
数多くの伝説を残す建物だそうです。
バザールの様子、絨毯、日用品、そして宝石市場としてたくさんの人がいました!
ここで、人生初の誕生石ルビーのピアスを買い心が躍る。 宝石売り場のおばちゃん達と!うん、キルギス語でもけっこういける。
家かなここは。扉がなんとも古びている
こちらも家かな。どんな暮しがこの中にあるんだろう
ウズベクの有名な工芸品で「スザニ」と呼ばれる、刺繍が施された布があります。
とにかくスザニに囲まれて、特別な一枚を選ぶのに日が沈みかけるまで選びきれないのです。
結局50$くらいの、黒・茶色のスザニを購入、日本の家で使う予定です。
●食事について●
基本的にキルギスとよく似ています。写真は下からボルシチ、真ん中は羊のスープ、上はにんじんとニンニクのサラダ。
そしてビールはこのひと瓶で70-80円くらい。
たくさん歩いて、かーっと昼からビールを呑みました。以後これほぼ毎日 笑
サルバスト、ウズベクのビールです。
夜はスハラというブハラの地ビールを、ブハラの協力隊員、もっと田舎フェルガナからやってきていた隊員と夕飯を一緒に。
●お金について●
ウスベクは紙幣の数が驚くほど少なくて、最高紙幣が50円相当です。
なので、毎回毎回大量の札束を数えなくてはなりません・・とほほ。写真は、3800円分の紙幣です。
ここではサマルカンド行きの列車の切符を買いました。
いよいよ列車に乗って次回は「青の街サマルカンド」をお送りしたいと思います。
乞うご期待!!