2011年8月17日水曜日

昼前のテレビの音

SAORIの工房は朝から全機織り満席、女性達もせっせと商品準備に追われています。
今、すっとそんな工房を抜け出して、巾着用の布を洗いに家に戻り、こうしてPCを開いています。

キルギス語の漫才のようなテレビの音が心地良い-
甲府のおばあちゃんの家で、おばあちゃんの煮物やお味噌汁をすすりながらお昼の「のど自慢 」見て、たわいもない話がしたい・・!

今朝は2×3mの大きな看板をペインティングの達人、Tバイケの家へ子供たちと一緒に持って行きました。
明日から会場準備、明後日私たちアルシュ勢もボズウイ建てや、テーブル、鍋、食器の運び出しをします。

先日SAORIのメンバーと、誰が何を準備して、どんな買い出しをするかなど話し合っていた時に、ふっと、その光景を遠くから眺めている自分がいることに気づきました。
お客さんを迎える事に慣れている(しかもものの30分くらいで物凄い準備をしてしまう!)彼女たちは、話し合いも、実際の準備も片づけも、本当に手際が良いのです。

特に今回、“キルギス”を感じたのが、ボズウイに必要なシュルダック(フェルト絨毯)や、ジェルトゥシュック(長座布団)、サモール(小枝を集めてお湯を沸かす鉄ポット)、カザン(大鉄鍋)、という日本には絶対にないような物が、どの家にも必ずあったことに、改めて驚かされたのでした。
大きなものを運ぶのなら、馬に大木でできた荷台をつけて、それを男衆に運ばせたらいいって。

一昔前の日本でも、家々の女性達が集まって、普段着ている着物の色の染め直し、洗い直しなどを協同作業でしていたこと、茅葺屋根の張り替えは村中の男性が集まってしていたこと、そんな私が実際にこの目で見た事のない、日本の文化が今でも日常の中にあったらなぁ~と、キルギスの村の、なんかそういったモノに触れて、羨ましく思ってしまった。

と、物思いに耽っている時間も焦りに変わってしまうほど、20日まではとにかくお祭り一点張りの大忙し。

それでも5分だけ、忙しい時ほど少し現実から離れて心と頭を休ませてあげることも必要なのだと誰かが言っていた。
私の恩師近藤先生は「忙しい」という言葉をあまり使わないでいなさい、と言っていた。
「心」を「亡」くすと書くから、と。

そう、当日に笑顔でお客さんを迎えられるよう、心に余裕を。