2011年4月26日火曜日

ある日の手紙 その2.

大学時代の友達Mから手紙が届いた。
彼女は昔から思っていることを素直に、悩んでいる事もまっすぐに言葉に書き出す。

久しぶりの彼女の心の声を聞いてなんだかとても嬉しかった。
日々の活動や、何って訳でもないのに毎日に追われている私は、こうして時々届く日本からの手紙でふと、落ち着く時間をいただくのだ。考える、時間を。
「・・地震のすさまじい映像を見て、泣き崩れる人を見て、自分のこれからや今置かれている状況を思い、「生きる」とは何だろうと思います。

「幸せ」とは何だろうと考えます。ふるさとって何だろうか、罪って何だろう、生きるって幸せなのか。

きっとなぎさは毎日そういうことを考えるような場所にいるんだね。

・・たくさんの変化があって、その中で人と人がいて関われば、自分のせいで誰かを傷つけたりするかもしれないけど、それでも人は一人では生きられないんじゃないかな。答えは出ないけれど、今私にできることをやりたいと思います。」

可愛いひよ子の便せんに書かれた彼女の言葉はすーっと私の体を風のように吹きぬけていきました。私は彼女が書いてくれた言葉一つ一つをここキルギスで読んでいる。


こちらに来た当初は慣れない景色、言葉、家具、食べ物に囲まれて、誰かが言う言葉を消化する余裕なんてなく、毎日必死でもがいていましたが、天山山脈も、キルギス語にも、床に敷かれたシュルダックにも慣れてきた今、幸せって何だろう、なんて考えられる時間ができました。


幸せの正体を知っている方、教えてください。

私もちょっと考えてみたいと思います。

2011年4月23日土曜日

ある日の手紙

4/21 夜11:55

今日の夜、近所のお家で夕飯をごちそうになって家までの帰り、星が満天に散りばめられていて、それはそれは言葉に表せないほどの美しさだったよ。ここには人間本来の暮らしがあるー。
常に自然の動きに人間が合わせている、季節の、天気の呼吸に合わせて人々の日々の生活があります。
神様が何かの意味をこのキルギスでの2年間の生活に与えてくれたとしたら、そんなアルシュ村での人間本来の暮らしを私に見せてくれたのではないかな、と思う。 機械に頼りきりになりたくない、人工物の中に埋もれたくない、全てのことに時間をかけていきたい、自然の中で自分をのびのび解放させて生きていたい、一瞬一瞬の発見や感動を見逃したくない。


今日の星空を見て色々なことを思ったよ。

お休み、3年日記書いて寝ます。

なぎさ

2011年4月12日火曜日

真っ白はなちゃんの巣立ち

タローに四匹の子供が誕生してからこの一カ月、そのうちの二つの小さい命はこの世で生きてゆくだけの充分な力が足りず、一つは誕生間もなく、もう一つは四月に入ってすぐに空へ飛んでいったのでした。 子供の死を受け入れられずタローは冷たく固くなった子供の顔をずーとぺろぺろと舐めていました。二匹目が死んでしまった日の夜は、どこからか子ヤギの死体を運んできてそっと、自分の体に寄せて寝ているのです。 タローの、我が子に対する深い愛情と悲しみを見た気がしました。残りの二匹には、雄「りき」、雌「はな」と名付け、二匹ともすくすく熊の子のように大きく育ってきました。今日の夕方まではなちゃんは、ちょこちょこ、ぽてぽて玄関の周りを飛び回っていました。 そしてPM7:00、いよいよはなちゃんの巣立ちの瞬間。近所の男の子が迎えに来たのです。そんな瞬間を察したのか今日は仕事を終えてからしばらーく、はなと遊んでいた私。

いっちょまえにワンワン!!と吠えたりする。 さすが大型犬タローの娘だけあって、腕も足も肉球も太い。

愛らしい、まんまる、真っ白なはなちゃん。
新しい家族に大事にしてもらうのよー。たまには遊びに来てね。
さて、我が家の水道も春・夏使用、ペチカ(暖炉)のある部屋から玄関先に引っ越ししました。

この水道もちなみにうちのhostfatherの手づくり。上からバケツ一杯の水を入れ→下の小さい扉を開けると更にバケツ。とってもシンプルな仕組みでしょう お茶を飲んだりご飯を食べたりの部屋も、冬と夏と別の部屋。

この模様替えを機に、いよいよ本格的な春の訪れを感じたそんな一日でした。
日本の大震災からも今日でちょうど一カ月がたちました。

まだまだ余震の続く日々だとニュースで聞きました。ここにいて私には日々の仕事を頑張るほか何もできないけど、それでも今日も明日も一生懸命頑張ります。


日本の皆さんも、体を壊さずこの正念場をのりきって下さい。必ず良い方向に向かうと信じます。

2011年4月11日月曜日

新しい命‐小さい赤ちゃん‐

この乳母車、個人的にとても好みなのです。 いつもナリンのバザールで、サモサ売りのおばちゃん、チャイ売りのおばちゃん達がこの乳母車を引き連れています。そう、これは赤ちゃん用じゃないの。笑 でも私はきっとこんな乳母車で赤ちゃんと一緒にお散歩したい~ さて、ナリン市内に住むY子さんの二番目の赤ちゃんに今日初めて会って来ました♪ 4/1生まれの元気な女の子!カワイイ!むにゃむにゃふえふえ 名前は「Sakura」ちゃん。キルギス人のご主人が選んでつけたそうです、日本の名前を。そして今の季節にぴったり「桜」の花のように、皆から愛されるそんな人に‐という願いからだそうです。 産後も健康的でやっぱりはつらつと、美しいY子さんでした。 ナリン市で青少年活動として大活躍 のAdilet身長185cm、流暢なキルギス語を話し、和太鼓を叩いたり、TVに出たり、忍者の資格を持っていたり、とても面白い奴である。 3/22(妹と同じ誕生日)には、大学時代から私達の大の仲良し夫婦にも第一子が誕生しました。彼らの小さい赤ちゃんには「観」かん君という名前が! 早く会いたい、観君に。あの二人の子供だったらきっとすくすく育つ事間違いない。色々な事に興味もって、疑問も持って、お父さんお母さんの背中を見てしっかり育つ事間違いない。 周りの皆が待って待って、お母さんが痛い思いをして、そして赤ちゃんも居心地の良いお腹の中から外の世界に飛びだしてきて、そうしてこの世に誕生してくる。本当に人間って、生き物って、不思議です。神秘です。 私もいつか母親になる日がくるのでしょうか。 どんな話をお腹の中の赤ちゃんにするのでしょうか、どんな気持ちで自分の子供との対面の瞬間を迎えるのでしょうか。まったく未知な世界です。 ちゃんと愛せるのかな、ちゃんと叱れるのかな、、考えただけで不安でいっぱいです。

2011年4月9日土曜日

音楽の先生として!

さて、村では裏の山の雪も少しずつ解け始め、夜風の香が春を思わせる今日この頃となりました。 ある日曜日、ジャーマットの女性の家にある糸紡ぎ車を見に行きました。アルシュで紡がれた糸をSAORI織りに使う、という目標が私の中で強くあるため、この一年の間で3台の紡ぎ車を村に導入しました。目標は10人の女性一人に一台・・!
久しぶりに私も羊毛から毛糸に紡いでみる。東京で生活していた頃、小さな南平のアパートで夜な夜なこうして糸を紡いでいたっけなぁと懐かしく思いながら、旧ソビエト式の紡ぎ車に座ってみた。

車輪が目の前にくるタイプ。少し背が高いのか、糸が出てくる位置も高め。さすがロシア人はきっと皆背が高いのだな。
この紡ぎ車は、女性たちは何故か子供たちの靴下を編むための糸作りに張り切っているが(涙)是非、もっともっとジャーマットに譲ってほしい、そして春~夏にかけての草木染めに備えたい。


●第二の仕事開始!●

実は以前から、何か学校でやってみたいと思っていた。

時々子供たちの学芸会や入学式に写真を撮りに学校に行くと、やっぱり私は学校という空間が大好きだった事を、雰囲気で、匂いで、子供たちの笑い声で思い出さずにはいられなかった。

6月~8月まで3ヵ月の夏休みに入ってしまう前に・・。

そんな頃学校の校長先生からも「なぎさをSAORIの作業場だけで閉じこめておくのは不公平だ!」のような事を言われ、何か自分にできる事をそれではやってみよう、と思ったのだ。 私は物ごころついた頃からピアノを弾いていた。母がピアノの先生だった事もあり、姉も音楽の道を進み、幼かった私と妹の遊び場はピアノの下だった。

小さい頃は外で遊びたくて、そして夜はTVが見たくて、とにかくピアノの練習が大の大嫌いだった。10分でピアノの部屋を出ると母の激が飛ぶ。適当に練習して部屋を出ると姉の激が飛ぶ。

15才の頃、音楽の道に進むのか進まないのか母に選択を迫られ、即座にお断り。

それでも、今はピアノが弾きたくてたまらない瞬間がある。落ち込んだり、一人になりたい時ふとクラッシクを、ピアノの音を聞いて心落ち着く自分がいる。そして、4/1から村の学校で音楽を教え始めた。




村には楽譜が読める人が一人もいないからだ。学校に一台だけあるYAMAHAのキーボードと、ナリン市の子供センターからかりた一台のピアニカを使い、ドレミファソラシド~から教えてみる。 歌を歌うならまだしも、ソルフェージュなんて子供たち興味もつのかなぁ・・まぁ5人もくれば良しとしよう。と思いきや、うじゃうじゃやってくる!教室に入りきらず、とにかく週二回4クラスに分ける事にした。


今日、第三回目の授業終了。ト音記号、ヘ音記号、♯(シャープ)、♭(フラット)、まで教えました。


お母さん、お姉ちゃん、次は何をしたらいいのでしょうか 笑


音楽を言葉にして誰かに教える、なんて作業が始めてなだけに、そしてそれをキルギス語でするなんて。

それでも始めてしまった以上、5月末までは子供たちがわくわくした気持ちを胸に授業に来てくれたら本望だな、と思います。夏休み終わってぜーんぶ忘れちゃったって上等だぜ


こちら、「白州米」

そうです地元山梨でも名水の地として有名な白州のお米です。

日本から送ってもらったこのお米、先日炊きました。炊きあがりご飯の匂いをかぐと、何故か田舎のおばあちゃんの家の畳が、畑が、川が浮かんできて、一人日本に戻ったような気持ちでした。

  真っ白でまんまるい、日本のお米。

  日本の水で育ち、空気に育てられたつやつやのお米。