2011年4月26日火曜日

ある日の手紙 その2.

大学時代の友達Mから手紙が届いた。
彼女は昔から思っていることを素直に、悩んでいる事もまっすぐに言葉に書き出す。

久しぶりの彼女の心の声を聞いてなんだかとても嬉しかった。
日々の活動や、何って訳でもないのに毎日に追われている私は、こうして時々届く日本からの手紙でふと、落ち着く時間をいただくのだ。考える、時間を。
「・・地震のすさまじい映像を見て、泣き崩れる人を見て、自分のこれからや今置かれている状況を思い、「生きる」とは何だろうと思います。

「幸せ」とは何だろうと考えます。ふるさとって何だろうか、罪って何だろう、生きるって幸せなのか。

きっとなぎさは毎日そういうことを考えるような場所にいるんだね。

・・たくさんの変化があって、その中で人と人がいて関われば、自分のせいで誰かを傷つけたりするかもしれないけど、それでも人は一人では生きられないんじゃないかな。答えは出ないけれど、今私にできることをやりたいと思います。」

可愛いひよ子の便せんに書かれた彼女の言葉はすーっと私の体を風のように吹きぬけていきました。私は彼女が書いてくれた言葉一つ一つをここキルギスで読んでいる。


こちらに来た当初は慣れない景色、言葉、家具、食べ物に囲まれて、誰かが言う言葉を消化する余裕なんてなく、毎日必死でもがいていましたが、天山山脈も、キルギス語にも、床に敷かれたシュルダックにも慣れてきた今、幸せって何だろう、なんて考えられる時間ができました。


幸せの正体を知っている方、教えてください。

私もちょっと考えてみたいと思います。