2011年4月9日土曜日

音楽の先生として!

さて、村では裏の山の雪も少しずつ解け始め、夜風の香が春を思わせる今日この頃となりました。 ある日曜日、ジャーマットの女性の家にある糸紡ぎ車を見に行きました。アルシュで紡がれた糸をSAORI織りに使う、という目標が私の中で強くあるため、この一年の間で3台の紡ぎ車を村に導入しました。目標は10人の女性一人に一台・・!
久しぶりに私も羊毛から毛糸に紡いでみる。東京で生活していた頃、小さな南平のアパートで夜な夜なこうして糸を紡いでいたっけなぁと懐かしく思いながら、旧ソビエト式の紡ぎ車に座ってみた。

車輪が目の前にくるタイプ。少し背が高いのか、糸が出てくる位置も高め。さすがロシア人はきっと皆背が高いのだな。
この紡ぎ車は、女性たちは何故か子供たちの靴下を編むための糸作りに張り切っているが(涙)是非、もっともっとジャーマットに譲ってほしい、そして春~夏にかけての草木染めに備えたい。


●第二の仕事開始!●

実は以前から、何か学校でやってみたいと思っていた。

時々子供たちの学芸会や入学式に写真を撮りに学校に行くと、やっぱり私は学校という空間が大好きだった事を、雰囲気で、匂いで、子供たちの笑い声で思い出さずにはいられなかった。

6月~8月まで3ヵ月の夏休みに入ってしまう前に・・。

そんな頃学校の校長先生からも「なぎさをSAORIの作業場だけで閉じこめておくのは不公平だ!」のような事を言われ、何か自分にできる事をそれではやってみよう、と思ったのだ。 私は物ごころついた頃からピアノを弾いていた。母がピアノの先生だった事もあり、姉も音楽の道を進み、幼かった私と妹の遊び場はピアノの下だった。

小さい頃は外で遊びたくて、そして夜はTVが見たくて、とにかくピアノの練習が大の大嫌いだった。10分でピアノの部屋を出ると母の激が飛ぶ。適当に練習して部屋を出ると姉の激が飛ぶ。

15才の頃、音楽の道に進むのか進まないのか母に選択を迫られ、即座にお断り。

それでも、今はピアノが弾きたくてたまらない瞬間がある。落ち込んだり、一人になりたい時ふとクラッシクを、ピアノの音を聞いて心落ち着く自分がいる。そして、4/1から村の学校で音楽を教え始めた。




村には楽譜が読める人が一人もいないからだ。学校に一台だけあるYAMAHAのキーボードと、ナリン市の子供センターからかりた一台のピアニカを使い、ドレミファソラシド~から教えてみる。 歌を歌うならまだしも、ソルフェージュなんて子供たち興味もつのかなぁ・・まぁ5人もくれば良しとしよう。と思いきや、うじゃうじゃやってくる!教室に入りきらず、とにかく週二回4クラスに分ける事にした。


今日、第三回目の授業終了。ト音記号、ヘ音記号、♯(シャープ)、♭(フラット)、まで教えました。


お母さん、お姉ちゃん、次は何をしたらいいのでしょうか 笑


音楽を言葉にして誰かに教える、なんて作業が始めてなだけに、そしてそれをキルギス語でするなんて。

それでも始めてしまった以上、5月末までは子供たちがわくわくした気持ちを胸に授業に来てくれたら本望だな、と思います。夏休み終わってぜーんぶ忘れちゃったって上等だぜ


こちら、「白州米」

そうです地元山梨でも名水の地として有名な白州のお米です。

日本から送ってもらったこのお米、先日炊きました。炊きあがりご飯の匂いをかぐと、何故か田舎のおばあちゃんの家の畳が、畑が、川が浮かんできて、一人日本に戻ったような気持ちでした。

  真っ白でまんまるい、日本のお米。

  日本の水で育ち、空気に育てられたつやつやのお米。