2011年5月31日火曜日

Softball match vs. US Airforce

そう、それはこんなコロッケな朝から始まった一日でした。 コロコロコロコロ・・と良い音で揚げられるコロッケ達。
コロッケ、という名前はきっとこの音からきたのかな

●快晴、スポーツ日和●
5月21日、絵に描いたような青い空。
米軍(マナス空港駐在)、アメリカ大使館、在キルギス韓国チーム、&日本チームのソフトボール大会が行われました。
これまで、US大使館チーム、韓国チームには好成績をおさめてきた日本ですが、今回は日頃鍛えに鍛えるマッチョな米軍が相手です。とにかく、30才を目前にこの身体がついていけるのか、怪我せずこの日を終えることができるのか、そんな心配を抱えグランウンドに来ました。

それでも不思議と、スポーツ仲間がそろい、汗をかき、米チームからの差し入れ・ハンバガー&ホッドグをほうばると、早く体を動かしたくてたまりません。

この日、日本チーム女子はソフトボール経験者のナリンっ子Tonyaと私が参加。

Tonyaは高校ソフトボール部、大学で野球部のマネージャーという筋がね入り!

コロッケの差し入れは同期のY子(右)!他の隊員もたくさん応援に来てくれました。

ん~いい笑顔!!

この大会では試合はもちろん、応援に来てくれる家族のおにぎり、唐揚げ、玉子焼き・・などの差し入れも楽しみの一つです。闘いの前にはやっぱりおにぎり、です。

「にっぽん勝つぞー!おおーー!!」のかけ声でプレイボール。

米軍との試合は最終試合、その前に総当たりで米大使館、韓国チームと対戦しましたが、あっさりと日本の勝利。そうです、今回の日本チームはなかなか強豪でした。

私はこの日はセカンドに守備。

最終試合午後3:00

やっぱり本場アメリカは、・・やっぱり強かった!!

なにせ一回りも体の大きさが違う、マッチョ達です。体がとても大きいくせに、動きが軽快。打てば200mくらいは飛んでいってしまうようなホームランのオンパレード。力の、腕力の差とでも言いましょうか。本当に彼らは凄い力がありました。


そしてここでひとつ悲しい事実をお知らせすると、中学・高校の頃とは違い、ボールを打った後に一塁を目指す足が、・・重たくて走りださない!!気持ちはもう走り出しているのに、足がまだバッターボックスから離れないのです。いやぁ・・悲しいかな。

結果は大差で米軍の勝利でしたが、個人的には闘い甲斐のあった相手だったと大満足!

守備ではゲッツーを取り、打撃もまぁまぁ、何せ怪我なく楽しく闘えた事が何よりです。

試合後は、韓国料理屋さんにて打ち上げ。

なんと驚くことに、米軍チームは一滴もアルコールを飲まないのです。軍の規則としてそう決められている、と。そして全員20:30にはきれいに解散して帰って行きました。

規則正しい、米軍。

それでも、何かと米軍基地のある町で騒ぎを起こす米軍。

体は大きいけど、軽快な米軍。


不思議な人たち!

そしてこちらよーくご覧くださいな。発見inビシュケク・チュイ通り

まつ毛付きの車!(>v<) ちゃんとクルンと上向きなまつ毛に感激~

こんな車に私も乗りたい。

2011年5月29日日曜日

今度こそ黄色!


前回のリベンジ、もう一度たんぽぽ染めに挑戦です。 かまどのある小屋に差し込む光‐

きれい・・ 昨日一緒にたんぽぽを摘んでくれた少女たち。「じゃ明日は11:00に手伝いに来てねー」なんて言ったもんだから、彼女たちは今朝9:00前には「ナルギーザエジェー!!」と、やってきたのでした。


小枝を拾ってきてくれたり、毛糸を洗ってくれたり。なんて健気にお手伝いする子たち。

家の周りに生えている草や、花で、こんな風に色が染められるんだーっ!と、その事だけでも発見だったようで、四人とも興味深々でした。

今回はたんぽぽの黄色い花びらの部分だけ、贅沢にたっぷり煮出しました。

すると、前回は少し(毛糸がきれじゃなかった事もあったけど)黄緑色になってしまいましたが、今回は黄色に近い、良い色が出ました。めでたしめでたし◎


今の、アルシュ村は一面綿毛畑です。ふわふわ、一面ふわふわです。

そして 昨夜は、久しぶりに鹿児島に住む妹より電話。

お互いの近況や、懐かしい友人の話、恋の話、家族の話、甥っこ・姪っ子の話に、軽く二時間近くも話しました。

妹は仕事の取材で、岩手県の震災地へ行って来たとのこと。

会う人、会う人、親や兄妹を亡くした人ばかり。-それでも一人一人の死に憂いてばかりはいられない、自分自身が生きていかなくてはならない状況だから、と取材を受ける人々は淡々としていたのが印象的だったと。

今は、台風の時期で九州地方も鹿児島も大変だと。

彼女の日常はニュースの中にあるんだな、とつくづく感じたのでした。

そして妹は、私が描く絵がとても好きなんだと言ってくれた。

なので少し紹介します。上は、↑ 最近村の保育園に頼まれた塗り絵。
こちらは2月に同期Yっこの活動するカラコル市でのイベントのポスターとして使ってもらったもの。

キルギスにいる間に、ここでしか描けない絵をたくさん描きたいと思う。そう思ったのでした◎

2011年5月28日土曜日

5月25日、卒業式in Kyrgyzstan

5.25はキルギス国内で卒業式。1年生から11年生までの学校で、最高学年11年生の卒業式です。
アルシュ村の学校も今年は7人が卒業。

前日に首都から帰ってきたばかりの私でしたが、とにかく卒業生の歌の伴奏を頼まれていたので、翌日は11時から夜の8過ぎまで学校で明日の準備!
歌の楽譜は何もなし、生徒が歌う歌を携帯に録音し、それを楽譜に書き出し伴奏をつけます。
その作業を計5曲、終わる頃には目が音符になるかと思うほどでした。
(上下・こちらの子たちは何故かこんな風に抱きついて撮影するのが好きです)
この子はアルトゥンベック(アルトゥン=金、ベック=太郎)・・金太郎君です。
とても男前、音楽の授業も一番のみこみが早く、この準備の日も、卒業式当日も本当によく手伝ってくれました。有難う金太郎!夜、卒業式前日の帰り道。自分の中学・高校時代を思い出します。
遅くまで学園祭の準備や部活に明け暮れた日々‐。


●卒業式当日●

全校生徒102名の小さな村の学校です。

皆、卒業生を送り出す為にきちんと正装しています。 ピアノに合わせて人前で唄った事のない子供たちは、テンポがばらばら 笑

それでも なんとか、唄い切りました!日本でいう「仰げば尊し」から「大地賛讃」といった感じでしょうか。 在校生たちは庭から摘んできた花々を卒業生に。


キルギス語で卒業式は「アクルク・コンゴル=最後の鐘」と言います。


卒業する男子生徒が、今年入学してきた一年生の女の子を抱っこして、体育館内を回ります。その女の子は手に鐘をリンリンと鳴らしながら。なんだかとても微笑ましい光景でした。 音楽の授業ももっと早くから始めたら良かったな、と思いました。学校での時間を生徒たちともっと過ごしたかったな、と。


学校の校長先生からは、私もこんな賞状を頂きました。

アルシュ村の大切なボランティアという意味。まさかこんなのを頂けると思いもせずキーボードに座っていたら突然のプレゼント!有難いです。感謝。


小さな学校を卒業した7人はどんな道を歩んでいくのでしょうか。


彼らの未来に乾杯。

2011年5月27日金曜日

たんぽぽ染め ‐きっと世界一のこの風景‐

とにかくこの5月は、村一面たんぽぽ色! ここ5日ほどでそれでも綿毛が目立ってきましたが、ついこの間までこんな風景でした。


去年は思わず体調不良でダウン、日本に一時帰国していた時期。

なので、今年のこの5月には人一倍嬉しさが込み上がってきます!きらきらしてるアルシュ村。


さて、そんなたんぽぽを鍋いっぱい摘んで・・ぐつぐつ煮るコト40分
今回はジルドゥスエジェと一緒に染めています。

かまどの火加減を見つつ、色々な話をしつつ、外の風を吸いつつ。

なんて幸せな時間・・。



このミョウバンは、首都のバザールで買いました。


これまでは、灰汁、石灰水など染めた後での媒染でしたが、このたんぽぽ染めの場合は、一回煮出した後その煮汁の中に小さじ3杯のミョウバンを鍋の中に入れて溶かしました。 紡いだ糸が完全にきれいになっていない状態の糸だったので、想像していたような真っ黄色にはなりませんでしたが、それでもちゃんと染まっています。初回まずはokとします。


明日は隣村で次回お祭り(昨年のAlysh祭りの第二回目)のミィーティング、よって明後日もう一回染めてみよう。



ちなみに、村では昔から「たんぽぽジャム」というのを家庭で作っています。

300個分のたんぽぽの黄色い部分を一晩水につけて汚れを落とし、その後煮出して、レモン汁を加え、砂糖で煮詰めるそうです。


きっと今後も私はこの季節、日本にいても、どこにいても、アルシュ村の一面のたんぽぽを毎年思い出すことと思います。心の中でずっと大事にしたい風景です。

2011年5月9日月曜日

ローザオトンバエバ大統領まであと一歩・・!

international fairというものに参加してきました。
開催場所は、チョルポン・アタというキルギス一のリゾート地の近く、ボステリという町。 一日早くチョルポンアタについて、湖でリラックス
普段見る事のない風景、景色に思わず心が休まります。

近くに住む隊員が集まり夜7:00までビーチでフリスビー&バレーボール!年を忘れ夢中になる平均年齢30才達。筋肉痛を恐れたけど、うん、まだいけるな 笑

そして夜は皆で豆カレー、サラダを囲んで夜中まで語り合ったのでした。


キルギスというと、たいていの人は「イシククル湖があるところだよねー」「行ってみたいな湖」と言います。

観光客も少ない、なかなかメジャーではないナリン州に住む私はどこかできっとイシククル湖に嫉妬してました。


別に行かなくていいし湖‐。と思うとこがあったのですが、この日は素直に湖に感激してしまい、

水は透明、静かに波立つ湖面にうっとりしてしまったのでした。 笑


チョルポンアタにPC隊員として大活躍のT先輩。来月にはお世話になったこの先輩達も日本に帰国です。どんどん親しい人がキルギスを離れてゆきます。


そしてお世話になった方々を順々に送り出す私たちにも、いよいよ自分たちの任期満了の時期が迫ってきているのだと感じるのです。


●Fair当日●

可愛い伝統衣装の子供たちが道に並んで待っています。 そう、このイベントはとっても大きくて今日はローザオトンバエバ大統領も来るのです。


水色衣装、おすまししてカメラに笑顔

男の子もこんな衣装です。


黄色も映えるな、と思いつつ

やっぱり赤が私は好きなので、この衣装にドキっとしました。


こんなに素敵な伝統衣装が普段もこうして着られたら

町中どんなに華やかに楽しくなることでしょう~ 日本の着物も、キルギスの衣装もいつまでも途絶えることなく着続けられていて欲しい。

じゃーん、こちら大統領!

二月にウズベキスタンで拘束中に会う事のできなかった方です。


この日、ナリンからも一村一品に携わるジャーマットということで私たちのSAORIもお呼ばれし、商品の展示販売をさせて頂きました。


ただ、大統領が来るということは、ガードもとっても厳しい!


まず展示場に朝からスタンバイできていたのは、イシククル州の隊員のみ。私たちが中に入れた時には、ものすごい人。その中を押し分けてSAORI展示のブースまでたどり着きましたが、がたいの良いしかめっ面のおっちゃんが、前にはだかりブースまで行かせてくれないのです・・!!むー!!


結局、こんな近くまで行けたのに、目を合わす事もできないまま静かに側で見ていたのでした。


どうやら私はなかなか目的地までたどり着けない星のもとに生まれてきたようです 


でも、TV越しでしか見られない貴重な方の近くに行けた事、SAORIをまた色々な人に紹介できた事、なんといってもイシククル湖の良さを再確認できた事、これで充分ではないか!

ジャーマットから今回は、グルバーラエジェと一緒に参加しました。

SAORIの女性達にとってもこうして時々人の前でSAORIを紹介する事がとても良い刺激になります。

そんな週末でした◎

ちなみに今日5/9は、キルギスの終戦記念日。キルギスもドイツ軍に参加して1941年5月9日に終戦した日。


村の学校では、戦争に参加した長老達にご飯を振るまったり、村でも朝から道に人々が集まりお祈りを捧げて「オーミン」したりしています。

私もこれからトマトサラダを作ります。